2007年5月16日水曜日

Windows And Mirrors 2


Windows And Mirrors 続き

CHAPTER 3 NOSCE TE IPSUM


近づくと人間の体の文字情報だったり画像だったりがいくつものレイヤーになって表示される作品。名前の意味は「自分を知る」ということ。この作品を通して仮想世界を私達は見ない。このデジタルなインタフェースとinteractしているという感覚をずっと持って見るのだ。
生活を囲んでいる様々なメディアは私達に経験をつくる。windowというよりはmirror。デジタルアートデザイナーは多様な方法を用いてtransparentかつreflectiveなインタフェースをつくらなければならない。デザインをユーザ側そして外側から考える視点が必要。マジシャンの様に幻想の世界と裏側のトリックの世界を知る感覚。transparecyとreflectivityを行ったり来たりするリズム感が大切。
パソコンで拡張子が見えなくてファイルが見つからない、ウィンドウを最小化して消してしまったと錯覚してしまう…ユーザは何か間違えたと思った時にインタフェースをしっかり意識できてほしい。インタフェースと自分の関係性が見えている必要がある。
Nosce Te Ipsumは最終的には全てのレイヤーが消えて自分の姿が映るようになっている。

CHAPTER 4 MAGIC BOOK

スパイダーマンの悪役がつけてそうなアイゴーグルをして本を見ると立体映像が浮き上がってくる作品。本とバーチャル世界の組み合わせが新しい文字と絵の経験を生み出している。remediate - 既存のメディアから新しいメディアを作るということ。新しい経験をデザインするために先代の知識を借りる。慣れ親しんできた感覚や昔の物の信頼性の上に我々はデザインをしている。Magic Bookがノスタルジックなのは子どもの頃のストーリーに飛べる感覚や思い出をついているからだ。
新しいメディアをデザインして、「これは何ですか?」と聞かれたときに他のメディアに例えずに説明することが出来るか?どう既存の物と似ていたりよりすごいのかを説明したりしない限り認めてもらえない。コンピュータも最初は理解されなかった。やがてこれは本の様な機能だったり、キャンバスになったりとメタファーを言えるようになってようやくメディアになった。
デザインするにあたってremediationは意識すべき点である。

CHAPTER 5 FAKESHOP

Fakeshopは複数アーティストのチーム。静止画、動画、テキスト等のウィンドウをたくさんレイアウトしたウェブサイトを紹介した。要は様々なメディアのコラージュ。
ドラマを観ていたとして、好きな人物を追いかけられたり、別のカメラアングルから見ることが出来たり、ストーリーに何か影響を与えられる。ニュースを観ていたとして討論に参加したり投票を行ったりして意見を反映させられる。そんなインタラクティブなテレビ構想は昔からあって研究されているが実用性が無いといわれる。逆にネットと繋がってテレビを見ながらちょっとしたトリビアクイズに答えたり、番組の追加的・背景的な情報をネットで確認できるenhanced television(一つ上のテレビ)が成功している。視聴者は番組内容とパソコン内容を行ったり来たりさせられ、番組に没頭することはできない。色んな機能を一つに集中した画期的な策をまだ模索してる中、本当に何が上手くいくかをenhanced televisionは表してるのではないか。
ノーマンはコンピューターが私達の環境にコンピュータあることを感じなくなるくらい、見えなくなるくらい浸透すると予見した。しかし実際消えない。むしろメディアは自然の様に当たり前の存在になっていて隠す必要もない。
ウェアラブルコンピューターの歴史は400年以上にのぼる。腕時計。現在デジタル腕時計は計算機やウェブブラウザなどの機能を一点集中しているデバイスとして売られている。information applianceと呼ばれる器械はただ情報を運ぶものではなく私達に経験を与えてくれる。

CHAPTER 6 T-GARDEN

鮮やかな色のローブをまとって暗い閉ざされた空間で音や映像の世界をつくりだせるT-Garden。T-Gardenから経験をデザインするということは身体化のデザインをすることということが伺える。
サイバースペースは私達が生きてる物理世界の延長線上にある。経験を体から完璧に切り離すことは出来るのか。
Hans Moravecの考える世界…心が完璧に体から浮遊し、ネットワーク内をすいすい移動できる。私達よりも優れた人工知能が存在しシンボル化された言語で全てを表す透明な世界。John Perry Barlowの世界…人はまだ体をもっているが、いつでもネットに接続できて、そこで人種や性別などを超えて真に個人として生きられる世界。サイバースペースが人の心だけを見れる透明な環境と捉えている。二つの世界観は脱身体化と透明性をリンクさせている。
バーチャルリアリティは1980年代、現実世界・身体化された世界からの逸脱を可能にする技術として表現されていた。完璧に実現した時、私達は身体の制限の呪縛から放たれて別の自分になることが出来る。しかしジェット機のシミュレーター等クリエイティブなVRはembodiment(身体化?)を探究する技術になりえる。シミュレーターの場合操縦するスキルを習得させる行為は現実世界と強くつながっている。

CHAPTER 7 TERMINAL TIME

映像を見せられ、4択が出てきて拍手によって選択肢を決定し、それに沿ったビデオを流していくTerminal Time。私達の歴史への理解は自分の文化やアイデンティティに深く根ざしていることを感じさせる作品。メディアを通して得られる経験にユーザは文化的な価値観を持って見る。
デジタルアプリケーションは既に存在するユーザの世界に適応しなければならない。良いデジタルアートはそのユーザに応えながらその人に合ったコンテキストに形を変える。Terminal Timeは私達に歴史の捉え方を考えさせ、また考えさせることで私達の思考を変えようとする。

CHAPTER 8 THE ART GALLERY

要は今までの話のまとめ。

経験をデザインするということは:
・remediatingすること
 Magic Bookの様に既存のメディア形式との関係を理解すること
・多様性
 Fakeshopの様にあらゆるメディアの多様性に対してオープンであること
・身体化されたデザイン
 T-Gardenの様にバーチャル世界をどう技術を駆使して身体化するか
・コンテキストデザイン
 デザインが機能する文化的・経済的背景を知ること

そうやってデザイナーはtransparencyとreflectivityが交互にくる調度いいリズムを見つけられる。デジタルインタフェースはwindowでありmirrorなのだ。

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